Report
 
2014.11.05

ただそこにいることを求めて
角幡唯介

目が覚めるとテントがばりばりに凍っている。頭上には深海生物のような白い奇妙な物体が、ボウフラみたいにゆらゆら垂れ下がっている。初めて見る、呼気が固まってできた不思議なかたちの霜ツララ。ゆっくりと払いのけるように手を延ばすと、顔の上にぴしゃりと落ちてきた。つめたい。

テントの外に出ると、白い風が遮るものなく吹き続けている。酷薄な氷の海の上を、わたしはただ一心不乱に歩き続ける。

身の回りのあらゆるものが凍っていく。汗が、鼻水が、食べ物が、揮発性のスプレーガスが。人間の体など、所詮はアミノ酸でできた内燃機関にすぎない。食った分は運動に熱変換され、足りない分は肉屋の陳列棚と同じように、蓄積された脂肪から引かれて使用される。それが生きているということだ。生きていくうえでの最も重要な真実は、単純な足し算と引き算から成り立っていることを、極寒の地では思い知らされる。わたしは絶え間ない運動を続けることにより、グリコーゲンをエネルギーに変え、自分の体が凍らないように燃やし続けているだけ。ずっと止まっていると末端から冷えて、体が確実に凍ってしまうから。特別なことなど何もない。実に簡単なことである。

それにしても、なぜこのようなことを自分はしているのだろう――。

口の周りで伸びたひげについた、汗やら鼻水やらが固まった氷板を、烈風の中でこそぎ落としながら、ふとそんなことを思う。蓄えていた脂肪は完全に消費し尽くされ、あばら骨が浮き出て、食べ物への妄想ばかりがかき立てられる。

わたしはただひたすら南を目指して歩き続けていた。

風が吹くと寒い。風が止むと寒くない。

平らな氷が続くと歩きやすい。でかい乱氷が現れると歩きにくい。

心の中からは北極熊への不安と恐怖がいつまでも消え去らない。熊たちは無遠慮にも、夜中に寝ている最中に断りもなくテントにやって来る。悪気はないのだろうが、ひどく迷惑な連中だ。こちらがどれだけ恐ろしい思いをしているか、あいつらときたらまったく分かっていない。鈍感こそ最大の暴力であることを知らないのだ。

北極熊がやって来た夜、あまりの突然の来訪にわたしは恐怖を感じる暇もなく、ただ心臓が早鐘を打ち、皮膚は張りつめるばかりだった。指先は、決して寒さからではないが、しかしぶるぶる震えて言うことをきかず、自分の身を守るために必要な動作をすることさえままならなかった……。

旅を終え、帰国してからずいぶんと時間がたった。

東京でのやわらかな日常の中を日々が流れていくうちに、頬にできた凍傷による黒ずみは癒え、寒さでただれていた唇は元通りの若々しいピンク色に蘇った。無骨に日焼けしていた手の甲は色が弱まり、節くれだっていた指の関節は都市生活者らしい貧弱な装いを取り戻していった。その無惨な変化を見つめる二つの目。肉体に刻まれていた北極の爪痕が薄れていくにつれ、旅の記憶も徐々に風化していく。外では桜が咲いているのだから、当たり前のことだった。

月日がたってから振り返ると、もしかすると、あれは決して特別なことではなかったのではないかと、そんな気さえしてしまう。なるほど、北極の旅で体験したことは、そこでしか感じることのできない極限的で非日常的なあれこれであった。おそらく知らない人が聞くと、それは普通のことではないと断言してしまうような類の日々だった。しかし違うのだ。からだひとつを携えて氷の世界の中に長く身を置いていると、普通ではないはずのことが普通のことになってしまう瞬間がやってくる。

圧倒的な時間と距離という単純な物理的事実が、本来なら非日常的であるはずの出来事のいちいちを、逆に毎日の一ページに描かれた代わり映えのしない単調なひとコマに塗り換える。一千六百キロ、百三日間にわたる人跡絶無の広袤(こうぼう)の中に放り出されたわたしの体は、知らない間に感受性をそぎ落とされ、あらゆる不快を生きるうえでの所与の前提として受け入れていた。

決して終わりが見えることのない毎日。永遠に続くかのように思われる、食べることへの飽くなき欲求。食べることが生きることであるという極めて自明な代謝の原則が、教科書的な理解を飛び越え、細胞膜の内側の核に直接突き刺さってくる。不安や恐怖や困憊は当たり前。明日も明後日も、一カ月後さえもそれが続くことが分かっているという毎日。非日常が日常に転化した時にはじめて、わたしは北極にいるという状況にからだの奥底から浸っていた。

何かを成し遂げたいわけではない。ただその中に身を置いて知りたいのだ。自分が何を知りたいのかを、知りたいだけなのだ。

風が、寒さが、暗闇が、太陽が、わたしの肉体を痛めつけ、五感を刺激し続ける。そこにある自分の体。烈風吹き荒ぶ中で震える肌。ただれる唇。北極の荒野は何かを奪うのではなく、そこでしか知りえない何かを与えてくれる。自分が今ここにいるという確かな感覚。肉体的な消耗と心の奥底にこびりついた恐怖が、生に死を取り込ませる。外の自然との明確な関係性の中で、生はこれまでにないほど鈍く黒光りし、ぎすぎすと音を立てて動きだす。

充実しているわけではない。

達成感を与えられるわけでもない。

美しい光景に感動することなんて、どうでもいいことだ。

何かがあるわけではないが、しかしそこにはすべてがあるという世界。自然界の諸法則と、自分の命を媒介にした抜き差しならない契りを切り結ぶことで、ようやく見えてくる何か。それがいったい何なのか、ただそれを知りたい。

あれほど苛まされた北極に、わたしはまた戻りたいと思う。結婚したばかりの妻を家におき、こんなことをして何になるのかと心のどこかで思いつつも、行きたいという気持ちを止めることができないのはなぜだろう。

飛行機のタラップを下りて、久しぶりにマイナス三十度の寒気にさらさると、気分は急に引き締まった。昂揚なんてしない。長い旅と容赦のない自然への畏れが打ち続く生活を思い、むしろ心はどこか塞いでいる。それでもわたしは求めている。そこに本当の何かが存在していることを知っているから、また氷塊の中に身を乗り入れるのだ。

角幡唯介(かくはた・ゆうすけ)

1976年北海道生まれ。ノンフィクション作家、探検家。2001年春から夏にかけて太平洋をヨットで航海しニューギニ ア島へ。マンベラモ川を探検し、トリコラ北壁を登攀。02年〜03年冬にチベット・ツアンポー峡谷を単独探検し、空白部を踏査。08年夏、ネパー ル雪男探 検に参加。09年12月、二度目のツアンポー峡谷単独探検。11年3月〜7月、極北カナダ1600キロを徒歩を踏破。12年〜13年の厳冬期に極 北カナダ で極夜探検。14年2〜3月、厳冬期のグリーンランド極夜探検。ツアンポー探検を描いた『空白の五マイル』で大宅壮一ノンフィクション賞、開高健 ノンフィ クション賞、『雪男は向こうからやって来た』で新田次郎文学賞受賞、『アグルーカの行方』で講談社ノンフィクション賞受賞。現在は太陽の昇らない 極夜の北 極圏で長期旅行を繰り返し、文芸誌で連載中。