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2017.07.21

奇妙な旗 村上祐資

旗のもとに集う人びと

奇妙な旗予期せぬ停滞のため、この島に来てからもう10日以上が過ぎた。ぼくはいま、お隣のデヴォン島で行う火星実験生活に参加するため、カナダ北極圏のヌナブト準州 にあるレゾリュー・ベイ(Resolute Bay、以下レゾリュート)という村で、フライトの順番を待っている。ATCOという、島のロジスティクスと開発を担っている企業が運営している宿に泊まっている。さまざまな国からやってきた冒険家や科学者が、この宿で最後の準備を整え、それぞれの目的地へと散っていく。あるいは目的を遂げた者たちは、旅のあいだに蓄積した汚れをここで落とし、昂(たかぶ)った精神を落ち着かせ、家族が待つ祖国へと帰っていく。

7月9日の今日は、どうやら「ヌナブト記念日」らしい。「らしい」というのは7月1日の「カナダ記念日」で、パレードで同じ車に乗り合わせた村の一家に、そう聞いていたからだ。1週間前の「カナダ記念日」は、午前中のうちから島にクラクションが響き渡り、宿のスタッフたちも赤と白のカナダ国旗の色を身に纏(まと)い、そわそわしていたものだ。今年は普通のカナダ建国記念日ではない。150周年ということもあり、お祭り騒ぎも当然なのかもしれない。

けれども、今日の島に流れている時間は、いつもとまるで変わらない。食堂でシェフに「今日は『ヌナブト記念日』じゃないの? 島ではお祝いはしないの?」と聞いてみるが、記念日だということは知っているが何かあるかは知らないという。そもそも7月9日が「ヌナブト記念日」になった経緯は、1993年に成立した“Nunavut Land Claims Agreement”にさかのぼるが、時代の移ろいとともに色あせているようである。

それぞれの流儀

レゾリュートは小さな村だ。15分もあれば、村を一回りできてしまう。そんな村を用事で歩くたびに、ぼくはいつも奇妙な引っかかりを感じていた。村の外周の建物と、中心部のそれとは大きく違っている。村の中心部にあるのはイヌイットの住居だ。シンプルな平屋の箱型、軒のない三角屋根、高床式、張り出した玄関のポーチには外階段……。外壁は緑やオレンジといった鮮やかな色が多い。コンテナや朽ちた雪上車が、物置がわりに併設されている。家のまえには犬が繋がれ、かたわらにはまだ脂肪分が少しついたアザラシか何かの骨の塊(かたまり)が無造作に転がっている。ホッキョクグマやジャコウウシの毛皮を干してある家もある。昔ながらの橇(そり)と並んで、修理中か、あるいは部品どりか、バラしかけのスノーモービルや車が庭に放置されている。建物に取り付けられた衛星アンテナや、村に一軒だけのスーパーであるCO-OPの品揃いを見ると、極北の民に期待していたノスタルジアは、少々肩透かしを食わされた気分になるかもしれない。

学校やコミュニティセンター、あるいは警察の建物が、そんな家々を取りかこむように建っている。それらの建物は総じて控えめではあるが、「見られること」を意識している。わざと風の流れには沿わない建物の配置、人工的に演出された窓の並びの不規則さ、壁面の素材を大胆に切りかえることによって生まれる模様、そして旗。イヌイットの住居においては北極圏の自然に許された色という印が 、家の顔や家主の好みを表していたが、無表情な周縁の建物は、何かに抗いながら不必要に自分の立ち位置を誇示しているかのようにも見える。

つまるところ、ぼくらは訪問者だ。長い時間をかけて、この地のすべてを知り尽くした人びとが住むこの地に、自然に左右されない流儀と技術を持ってやってきた奇妙な訪問者なのだ。

夜のはじまり

建物は家主の心をうつす。慣れない土地に住むことへの不安も、その畏(おそ)れを受け容れられない心も、どこかよそよそしく寄り集まる振る舞いも、外から持ちこんだ生活の所作も、剥き出しの土地では一層、家の相となってあらわれる。風になびく赤と白のカナダ国旗は、すでに楓(かえで)模様が擦り切れ、欠けはじめていた。掲げられたままずいぶん長いあいだ、放って置かれているのだろう。

「誇示することの無意味さと、人間の染まっていく力には抗えない」

そんな事実を物語っているかのように。

「ヌナブト記念日」の夜中、遮光カーテンで人工的につくり出した暗闇のなかで眠りについたぼくの耳に、おぼろげに窓の外から、誰かの物語のような唄声と嬉しそうにはしゃぐ犬たちの声が聴こえてきた。ぼくには霧がかかった白い夜が、イヌイットたちの喜びの色に染まっていくようにも聴こえていた。訪問者たちの夜のはじまりを合図に、島にかけられた奇妙な魔法がとけていくかのように。

白夜の七夕(7/7 21:30-7/8 21:30, 24hours Time Laps from Arctic)
村上祐資(むらかみ・ゆうすけ)

1978年生まれ。極地建築家。The Mars Societyが北極圏デヴォン島にある「地球にある火星」で行う、火星模擬実験生活「Mars160」ミッションの副隊長をつとめる。第50次日本南極地域観測隊・越冬隊員(地圏)。NPO法人日本火星協会・理事、フィールドマネージャー。公益財団法人日本極地研究振興会・理事。防災士。JFNラジオ番組『ON THE PLANET』水曜パーソナリティ。慶應義塾大学大学院(建築都市デザイン)修了。東京大学大学院博士課程(工学)単位取得退学。

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