第2回 菊地凛子×礒貝日月
答えがでないものへの問い
はじめて挑戦する外国人の役づくりのため、「イヌイット」文化を肌で知る礒貝日月を訪ねた、女優・菊地凛子。
第1回「『イヌイット』を演じるということ」では、イヌイット女性を演じることへの葛藤や、イヌイットたちの心に潜む闇と光について、話が広がりました。
2回目となる今回は、イヌイットたちの死に対する受け止め方という話から、彼らの宗教観について語り合います。そして、イヌイットが極北に住み続けている理由について探っていくうちに、「内なるもの」の神秘や人類の果てなき旅への共鳴について盛り上がっていく2人の様子をお届けしていきます。
イヌイットの死生観と宗教について
菊地凛子(以下、菊地):「死」といえば、さっきちょうどこの本を読んでいたんですけど(と言って、カバンから岸上伸啓著『イヌイット―「極北の狩猟民」のいま―』を取り出す)。
「イヌイットにも輪廻転生みたいなものがある」と。そうするとたとえば、死んでも生まれ変わるとか、そういうのをイヌイットたちは信じているのかと。それは必ずしも人間ではなく、ホッキョクグマで生まれ変わってくるかもしれないですけど。
礒貝日月(以下、礒貝):極限状態の環境で暮らしているから自然への脅威は常にあると思うんですけど、それだけじゃなくてアニミズムに基づく自然崇拝というのか、「死ぬことは自然の一部に還るんだ」みたいなこともあるのかもしれないですね。
あと、1900年代のはじめって、イヌイットと西洋人の交流が1800年代にはじまって、交易所が設けられたり交流が盛んになってきた時代なんですよ。探検家にはキリスト教の宣教師もついてきて、そこからキリスト教の普及が広がるんです。
菊地:あ〜、なるほど。だからいまはすごく(キリスト教の信者が)多いって本に書いてありました。
礒貝:いまは90%以上と言ってもいいくらいキリスト教ですね。グリーンランドもそうですけど、どの村に行っても教会がありますよ。カトリックとアングリカン。あとは少人数ですが、異端系の信仰者もいます。
菊地:不勉強で恥ずかしいんですけど、輪廻転生ってすごく仏教の感じがするんですよ。キリスト教のスピリットからすると、相容れないものなんじゃないでしょうか。
礒貝:そうでしょうね。だから、別の宗教が入ってくることによって、この時代は心の動きがすごく変わったのかもしれません。生と死は、心の中でグチャグチャのヘドロみたいになっていたかもしれないですよね。ぼくもこの時代の人たちに話を聞いてみたいです(笑)。
菊地:はははは(笑)。
極北に住み続けたイヌイット
菊地:現地の墓場の写真を見せてもらったら、すごい数のピアリ―の親戚のお墓があって、ほとんど全部ピアリ―の親戚なんじゃないかっていうくらいなんです。でも、ピアリ―は最後まで「自分の子どもじゃない」と否定するんですよね。
礒貝:うんうん、何でだろうな。一部の探検家の人たちは、居着いた集落にファミリーというかひとつの大きな組織をつくっているんですよね。でも、それを否定するのは何でなんだろう、う〜ん……。
菊地:イヌイットに対しての愛を感じないと思いませんか? 受け入れたのに、そんな風に否定されて、イヌイット、特に女性はどんな風に感じたんだろう。
礒貝:どうなんでしょう……。直接の答えではないんですが、イヌイットがつくった『アナタジュア』って映画、ご覧になりました? 邦題が『氷海の伝説』っていうんですけど。
カナダのイグルーリックという村にあるフィルム会社が2001年に制作した映画で、原題の『アナタジュア』は、イヌイットの言葉で「速く走る人」っていう意味なんですけど。
菊地:観ました。イヌイットの監督が作った映画で、キャストが全員現地で暮らす人で、カンヌ国際映画祭で新人監督賞にあたるカメラドール賞を獲得したんですよね。
礒貝:あの映画に主演しているイヌイット女性は友人なのですが、いま菊地さんが悩んでいる「どういう心理状態なんだろう」っていう答えを持っているのかな、って思いついたんですけど。彼女に「今度日本人女性がイヌイット演じるんですけど、どう思いますか」って聞いてみたら面白い答えが聞けるかも。
菊地:いっそ、今回も彼女が演じた方がいいっていうね(笑)。
礒貝:いや、そういうわけじゃ(苦笑)。
菊地:でも、わたしも聞いてみたい。イヌイットは、何で北に住み続けているんですか、とか。
礒貝:北に住み続けた理由? 確かに、農業はできないし、狩猟だけだから、食も限られますよね。寒いし、暗い。普通なら人間は南下していくんですけどね。
菊地:ですよね。だって、肉体的にもキツイし。でも、私はアジア人にも少し奥歯を噛みしめて生きている部分を感じるんです。少し偏見になってしまうかもしれませんが、我慢強いというか、そこにいることによって、自分が生きていることを実感するというか。あと実際、アザラシがおいしいって言うのはどうなんだろうとか。
礒貝:アザラシ……どうだろう、好みにもよりますよね。カリブーとかベルーガ(シロイルカ)を食べる人たちは多いけど、アザラシをあまり好んで食べない若者は多いですね。
菊地さんって、イヌイットってどんな風に捉えてます? たとえば、「イヌイットとは何か?」って聞かれたら、何て答えますか?
菊地:そうですね、すごく「人間然」としている民族だと思います。
「人間」として生きるイヌイット
礒貝:カナダの「イヌイット」もそうですけど、グリーンランドの「カラーリット」、日本の「アイヌ」にしても、すべて「人間」って意味ですよね。「日本人」は「日本という国に所属する人」って意味だし、「人間」なんて意味は持ってない。なのに、自分たちの自称が「人間」って、なんでそんな風に呼ぶんだろうって不思議に思います。以前呼称されていた「エスキモー」は、「生肉を食う人たち」という意味で、カナダ国内では、「イヌイット」という呼称が一般的です。人間らしさを自分たちにもとめているんでしょうかね、そこに。
菊地:不安なんだと思います。不確かなものでも、名前をつけると「そうか、これがこれか」っていう、ある種「ラベル」をつけてもらって安心するというか。結局、私たちというか人間は、それぞれの場所である役割を演じているに過ぎないって思ったりするんですよね。
礒貝:でも「ラベル」の作業は、彼らは西洋人と接するまではそんなの必要なかったはずですよ。
菊地:そっか。だって、地球上には自分たちだけしかいないと思っていたんですものね。
礒貝:イヌイットは、自分たちの世界観の中ではじめて他者、つまり他民族と会ったときに自分たちのことをラベル化していくんですよね。そのラベル化の作業の中で、自分たちがイヌイット、つまり人間だって思う何かがあったのかと……。
菊地:この前、厳島神社で撮影したんですけど、神とか神社とかなぜ崇めているかという話になって、それは結局不安から来ているそうなんです。
人の抱える畏れや不安を奉って崇めたって。だから私たちはみんな、生きること自体が不安で、不安から解放されたいと思っているんだけど、輪廻転生となると、生まれ変わったらまた不安に逆戻りというか。それとも、イヌイットにとってはベースが「死」なのかな。だって、昔は27、8歳で死んじゃってますものね。しかも、狩りがうまくいかないと殺されたりとか。
礒貝:先ほど、アジア人は奥歯を噛みしめて生きているって言いましたよね。イヌイットはモンゴロイド系で同じ血筋だけど、アジア人じゃないんですよ。だから、お互い見た目はすごい近いけど、でも絶対にアジア人という括りではないですよね。
菊地:去年ニューオリンズに行ったんですけど、南だからか、身体的に音楽が生まれやすいと感じました。文化的に身体感覚が浮くというか、すごくリズムを持ちやすい。北極圏は白夜があったり、環境的な要因も文化や身体に影響があるでしょうね、きっと。
礒貝:北だと音楽もリズム感があるというよりは、喉から出てくるような歌とか、内側から出てくる表現が多い気がしますよね。鳥の声やアザラシの声を真似したりとか、内なるものの表現の仕方があったり。
菊地:内なるものの神秘ってありますよね。私のイメージとしては、イヌイットは民族としてものすごく硬いんです。で、南下すればするほど、身体もテンポもコミュニケーションも柔らかくなる。
礒貝:でもそれは、気候的な問題でしょ?
菊地:そうなんですけど、でも何でそんな苦しい中にいたのかって考えると、身体的なリズムが生きていける場所を決めているんじゃないかと思ったり。でも人間としての生命体は同じなので、環境への適合とかはそんなに大差ないはずだから……。うーん、何が言いたいんだ(笑)?
礒貝:ひょっとして、イヌイットの女性は、探検心に共鳴した部分もあるのかな。わざわざ遠方の、未知の世界から来た探検家たちを受け入れたっていうのは。興味なのか、男性的な魅力なのか……。
菊地:コミュニケーションというのは、言葉じゃなくて生まれるものがありますものね。女性性なのか母性なのか、それは分からないですけど。
礒貝:異質感というか、人類の果てなき旅への共鳴みたいな、そういうこと?
菊地:分からないですけど、島国だと思っていたのが、急に向こうの国の人たちが自分に手をさしのべてくれて、世界が広がった。そこに何かを感じたのかもしれませんよね。
(構成:相澤洋美)
(第3回に続く)
菊地凛子(きくち・りんこ)
映画『生きたい』でデビュー。
2006年、映画『バベル』でアカデミー助演女優賞にノミネート。以後、国内外を問わず数々の作品に出演。
主な出演作に2010年『ノルウェイの森』、2013年『パシフィック・リム』『kumiko,the Treasure Hunter』など。